体育技術の向上
毎年、各競技大会を 総聯は、体育人や青少年学生の体育技術を限りなく高めるため、毎年、サッカー、バレーボール、バスケット、卓球、野球、テニス、柔道、ゴルフ、陸上、囲碁などの種目別選手権大会と、朝青、女性同盟など階層別にサッカー、野球、バレーボール競技大会を全国的に行っている。
  それだけでなく、祝日や記念日に際しては、在日朝鮮学生中央体育大会や、ちびっこサッカー選手の祭典である在日朝鮮初級学校学生中央サッカー大会など、学生たちの競技大会も数多く開かれている。
  総聯が開催する一連の競技大会は、体育人と青少年学生が、つね日頃練習で磨いた技術、技量をあますところなく発揮し、互いの親睦と団結を強める場となっている。 社会主義祖国でも心おきなく体育を 祖国で5年に1度開かれる人民体育大会と「万景台賞」競技大会には、サッカー、バレーボール、バスケット、卓球、柔道、野球、陸上、柔道、ボクシング、レスリングの各選手たちが参加している。
  1998年に祖国で開かれた第9回人民体育大会には、ウェイトリフティングで金太壌(北海道)選手が、ボクシングで白永鉄(大阪)選手がそれぞれ3位に入賞した。
  また、第3回アジア卓球選手権大会(1976年4月)、社会主義国青少年柔道選手権大会(1976年12月)、平壌国際親善卓球競技大会(1990年8月)など、祖国で開かれた国際競技大会に総聯が選手団を結成して出場し、世界各国の選手たちと技を競った。
  朝鮮国籍所有者と在日朝鮮学生が、日本の各体育競技大会への参加が制限された状況下で、祖国の体育人との競技交流、国際大会への参加の道を開いた祖国の配慮は、在日朝鮮体育人と学生を大きく励ました。 日本の全国大会に 諸般の権利を守るための総聯の終始一貫したたたかいと、進歩的な日本体育関係者の誠意ある努力によって、さる1994年、初めて朝鮮高級学校生徒らの全国高等学校総合体育大会(インターハイ)への門戸が開かれた。
  1994年8月、富山で開かれたインターハイボクシング競技場には、地方予選大会を勝ち抜いた東京朝高と大阪朝高、神戸朝高の12人のボクシング選手らが参加した。
  インターハイに初めて参加した朝高ボクシング選手らは、45・ L級と57・ L級、60・ L級の3階級で3位入賞を果たし、学校対抗では東京朝高が6位に入賞した。
  その後、1998年には大阪朝高の白永鉄選手が全国高校選抜ボクシング大会で優勝。北海道朝高の朴徳貴選手は1999年の選抜大会とインターハイ、2000年のインターハイで断然優勝することで、民主主義民族教育の優位性を高く誇示し、在日朝鮮青年の気概を轟かせた。
  とくに、1999年には大阪朝高サッカー部が大阪府大会で優勝し、団体競技としては初めて、岩手インターハイ試合に出場。昨年(2000年)には全国高等学校サッカー選手権大会に大阪府代表として初めて参加するなど、サッカー、ラグビー、ボクシング、ウェイトリフティングなど各種目で朝高選手が活躍している。 共和国代表選手として国際競技大会に参加 国旗掲揚台にゆっくりと上がる共和国旗。表彰台に上りその旗を見上げる金昌煥選手の胸は限りなく高まっていた。
  1986年、札幌で行われた第1回冬季アジア競技大会に、共和国代表選手として参加した金さんは、スピードスケートショートトラック500・ nt>。、1000・ 。でそれぞれ銅メダルを獲得したのである。
  初級学校の時からスケートに親しみ、訓練を続けてきた彼にとって、共和国旗を胸に国際競技大会に参加するのが夢だった。
  それが実現したうえに、好成績をおさめたのだから、共和国の海外体育人としての誇りと自負心は例えようもなく大きかった。
  その後も、共和国代表選手として世界選手権大会に出場している金さんの目標は、1992年の冬季オリンピックだった。
  それだけでなく、これまで少なからぬ在日朝鮮体育人がサッカー、フィギュア、アイスホッケーなどの国際競技に国会代表選手として出場し活躍している。
  1990年9月に北京で開かれた第11回アジア競技大会にも、各種目にわたって同胞体育人が代表選手に選ばれる栄光を担った。とくに、在日本朝鮮人ゴルフ協会は、祖国の委任によって1年間にわたって予選競技を行い、4人の選手を選抜し代表選手に送った。
  その後、1998年12月にバンコクで行われた第13回アジア競技大会に、317人の祖国の選手団に交じりゴルフ、陸上、ウェイトリフティング、ボクシング、レスリングなど5種目に、9人の選手と9人の役員、関係者計18人の在日朝鮮体育人が参加した。
  総聯の陸上選手らは、1998年7月に福岡で行われたアジア陸上競技大会に共和国代表として国際競技に初めて参加し、近代10種競技で金サンリョン選手が5位、400・  レスリンググレコローマンスタイルの鄭建二(徳島)選手は、共和国代表選手として、世界選手権大会などの国際競技に4回出場した経験を持つ。1997年にイランで行われたアジアレスリング選手権大会では4位に入賞した。