コリアニュース №761(2018.10.22)
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労働新聞論評 「米国は二つの顔でわれわれに対するのが恥ずかしくないのか」

労働新聞は20日、「米国は二つの顔でわれわれに対するのが恥ずかしくないのか」というタイトルで、以下のような個人名義の論評を掲載した。

(全文) 最近、朝鮮問題に関して米国から聞こえてくる言葉が人々の頭を混雑とさせている。

一方ではポンペオ米国務長官の平壌訪問について米国が願う「とても大きな成果」を収めたとの宣伝が騒がしいと思えば、他方では「制裁継続」のような聞きたくない声が人々の耳を痛めている。

米国の選挙遊説の場では、「われわれは北朝鮮と本当に仲がいい」、「過去には彼らと戦争に向かっていたが今はいかなる脅威もなく、実に良い関係を持っている」と明るい笑みを浮かべ、記者会見の場など他の場所では「北朝鮮が何かをするで制裁は続かなければならない」、「まだ北朝鮮に対する制裁解除は考えたことがない」と厳しい表情をしている。

米国務省も、一方では「平壌訪問が非常に生産的で成功的だった」、「北と議論され事は『大きな前進』だ」、「実務会談を早く開こう」と熱意を見せながらも、他方では「『先非核化、後制裁緩和』が一貫した立場だ」、「南朝鮮当局も南北協力事業を加速させるな」、「東南アジアと欧州諸国も対朝鮮圧迫共助を引き続き強めろ」と脅している。

平壌に来ては懸案やわれわれの憂慮事項に対して肯定してうなずき、米国に帰ると首を横に振り、シンガポール会談の際は北南関係の改善を「積極的に支持、歓迎」すると挙げた両手で、「今は北南協力事業を米国承認なしにしてはいけない」と遮断しているのだから、唖然とせざるを得ない。

見当がつかない米国の表情と態度は、疑問を生じさせている。いったい、笑う顔とぶっきらぼうな顔のうち、どっちが米国の本当の顔なのか。

本当に、朝米関係を改善しようとしているのか、あるいは他の考えが思いついたのか。あるいは、米政府が国内政治的になんらかの強迫症と焦燥感にとらわれて心理的混乱をきたしているのだろうか。

時と場所によって変わる言動と一貫性のない態度について、米紙「ニューヨーク・タイムズ」までも、米政府が混乱したメッセージと空虚の脅迫、混乱を醸成する対朝鮮制裁政策を乱発していると非難している。

もちろん、われわれは、米国の11月議会中間選挙を控えているホワイトハウスの「困った事情」と「苦しい立場」を解らないわけではない。

いま、米国の国内政治環境がきわめて複雑であり、このような中でおそらく何かを一つ決断し推し進めることが、どれほど頭の痛い過程になるのか、よく解っている。

トランプの政策を無条件に反対しながら、心にもない「強硬」な言動をする人々が吐き出す毒素によって、米国の政治土壌が「酸性化」しているのは、災難の水準に近いと言うべきである。

「だまされてはならない。

非核化に対する北朝鮮の真正性を信じられない」と言って不信感を吹き込む人々、「対話とは別に最大限の圧力を維持しなければならない。

圧力の水位を緩めるのは大きなミスになるだろう」と言う人々、「本当に想像できないのは、核兵器の開発を北朝鮮に許すことだ」と言って核恐怖症まで煽ろうと躍起になる人々などによって、真実と虚偽が同じ泥沼の中でごちゃ混ぜになっているのが、今日の米国政治の状況である。

前大統領のオバマまでも現状について「わが国の政治は下品で偏狭で恥知らずとなり、政界は虚勢と攻撃、侮辱、嘘の主張、無理に偽装した憤怒がはびこる場となった」と慨嘆している。

反対派が非核化だの、制裁強化などと言うのは、平和のための善良な心からではなく、単にトランプ政権を悩ませ、ホワイトハウスと議会を奪還するために繰り広げる投石にすぎないということは、誰の目にも明白な事実である。それはまた、朝鮮についてよく知らずに、最も現実的な非核化の方途について特に考えてみたこともない政治門外漢の無理強い以外の何物でもない。

にもかかわらず、米政府は反対派の顔色をうかがい続けなければならないのか。 政敵が汚水のように吐き出すデマと風説、雑言に耳を傾けながら、真実のべルの音はいつ聞き、自分の道はどう進むつもりなのだろうか。

問題は、米政府が自国内の強硬派の声についてはこれほど恐れながらも、自分らの信義のない行動と裏表がある態度が、交渉当事者の神経に逆なでするという事実にあまりも鈍感なことである。

偽善と欺まんに慣れ、ごう慢と独善が体質化している米国人は、自らの一方的で二重的な態度は、何でもなく当然なことにみえるだろうが、純粋で明白なことを好み、信義と約束を大事にする朝鮮人には耐え難い侮辱になることを知るべきである。

米国が平壌に来た時にいった言葉とワシントンに戻ってからいった言葉が異なり、心の中の考えと表に出す言葉が違うならば、今まで難しく積み上げてきた相互信頼の塔は卵を積み重ねたかのように、とんでもないことになるだろう。

米国が朝米交渉を、世紀を継いで累積した両国の敵対と不信の歴史にピリオドを打ち、新しい信頼関係を構築するためではなく、互いの懐に刃物を忍ばせたまま抱擁する「ラムーレットの接吻」と思っているのかは、知る由もない。 全世界がシンガポールでの両国首脳の対面を「世紀的な対面」、「歴史を変える対面」として歓迎したのは、米国がついにこん棒政策を捨て対話と交渉の道に臨んだと見たからである。

ところが、前ではわれわれの善意の措置に拍手を送り、振り返っては圧迫の棍棒を振り回し続けているのだから、われわれは二つの顔のうち、どの顔を相手にすればいいのか。

平壌で朝米が和気あいあいとした対話をおこなっている時でさえ、米国では「圧力」が問題を解決する主な切り札であり、手にした棍棒を絶対に放してはならないという怒鳴り声が公然と響き渡る有様である。

ある程度の周辺感覚はあるべきである。国際社会からは、「米国がギブ・アンド・テイク式の交渉には関心がなく、唯一朝鮮が米国の圧力に頭を下げることだけを願っている」、「米国は非核化のみに集中するあまり、はるかに深奥な発展を見られずにいる」という非難が響き渡っている。

鳥も二つの翼で飛んでいるのに、米国は自らの翼はたたみ、朝鮮にだけ飛べと言っている」、「与えるものなく受けることだけが好きな米国は世間知らずで、代償なしに施すことだけをする朝鮮こそ本当の大人だ」と嘲笑している。

国連でも、ロシアは制裁が外交の代わりにならないとして朝鮮に対する圧力に強く反対し、中国も力に依存するのは災難的結果を招くと警鐘を鳴らしている。

しかし米国は、どっちつかずの二重的思考と二重的態度に陥り、目標と手段を混同し大事と小事をわきまえられずにおり、比例感覚とバランス感覚さえ失う状況に至っている。

内輪もめで苦しめられたあげく、今になっては自分らが願う結果が世界の平和と安定なのか、制裁・圧迫そのものか分からなくなっているようだ。

いくら国内政治が複雑で風波が荒っぽいとしても、最低でも最初に定めた目標を失わなければ、思考と行動の一貫性は保たれ、朝米交渉がその軌道に沿って真の目的地に向かって流れるではないだろうか。

われわれは、米国に善意と雅量までは期待しないが、もらった分だけ与えるべきだという初歩的な取引の原則に即して行動することを求める。

朝米関係の機関車が相互信頼という蒸気を噴き出す時こそ力強く前進するというわれわれの主張と、それは制裁・圧迫というブレーキを引くところにあると考える米国の固執のどちらが正しいかは、あえて聞く必要もないだろう。

朝鮮人は表裏があることと二面性を軽蔑し憎む。米国は二つの顔ではなく、一つの顔でわれわれと対座すべきである。

それは、暗い顔色で失敗した過去を振り返る顔ではなく、やさしい眼差しで成功する未来を眺める顔であろう。

(了)

●「朝鮮中央通信社」(日本語) http://www.kcna.kp/goHome.do?lang=jp

●エルファテレビ  http://www.elufa-tv.net/


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