朝日友好ニュース 2 (2010.1.23) | |
「福島朝鮮学校を支援する会」が結成 | |
「福島朝鮮学校を支援する会」結成総会が1月17日、福島県教組郡山会館で行われた。発起人代表で結成準備委員会の責任者である住谷圭造・前福島県教組委員長をはじめとする各団体の代表25人が参加した。 総会では、社民党福島県連合を代表して佐藤幸夫・郡山市議会議員があいさつし、「今日の総会は今後日朝友好運動を大きく進展させる重要なきっかけになる」と述べた。 来賓として招かれた朝鮮総聯福島県本部の張泰昊委員長は、「朝鮮学校は在日同胞民族コミュニティーの中心であり未来である」、「今後も民族教育を守ることをもっとも重要な事業としてとらえ、献身していく」と決意を述べた。 この日、会長に選出された住谷氏は、「教員と生徒、学父母たちの交流を深める過程では学ぶことも多く、在日朝鮮人の民族教育を支援することを日本人としてやるべき当然のこととして、発起人の代表になった」と語った。 「支援する会」は今後、朝・日友好運動の一環として、福島初中のための支援金を集め、毎年10月に行われる文化祭で手渡していく。また、様々な学校行事にも積極的に参加する予定だ。 総会終了後、福島朝鮮初中級学校の具永泰校長が、同校の状況と課題について講演を行った。(朝鮮新報から) |
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東京・中野 「李福順さんの話を聞く会」 朝鮮女性の半生を学ぶ | |
東京・中野区の中野サンプラザで1月16日、「李福順さんの話を聞く会」(主催=東京日朝女性のつどい)が開かれた。 集会には、主催団体代表の重藤都さん、在日本朝鮮民主女性同盟東京都本部・金順徳委員長、同中杉支部・金京子委員長、日本女性と同胞女性ら31人が参加した。 重藤さんは、「韓国併合100年に当たる年に、その時代を生きた女性の声を通して彼女が生活の中で体験したものを体得したいと思い集いを企画した」と述べた。 李福順さん(84、中野区在住)は、慶尚北道奉化郡で幼少期を送った。当時、家父長制の下、庶民階級の女子には学問の世界は開かれておらず、李さんは13歳のとき新聞紙に文字を書きながら独学で字を覚えた。「昔、朝鮮の田舎ではひとつの村に文字を読める人が1人か2人しかいなかった。人々は本を読める人の所へ集まって話を聞くのを楽しみにしていた」。李さんは13〜15歳の頃、「チャンキ伝」「キムジノク伝」「オリョン伝」などの古典小説を丁寧に紙に書き写した。それらの長編小説は今も大切に保管されている。 16歳で家族と共に日本へ渡り、その後は靴下工場で働いた。19歳のとき東京・渋谷の仕立屋で働いていた同胞男性と結婚するが、「根がつくと兵隊に連れて行かれる」危険があったため、頻繁に引っ越した。長男を出産した翌年に疎開先の福島県郡山で解放を迎えた。 夫は遊技業で成功し、同胞たちとともに福島朝鮮初中級学校、総連福島県本部、朝鮮信用組合設立に励んだ。李さんも女性同盟福島県本部の設立に力を注ぎ、初代委員長に就任した。90年代半ば、水害が朝鮮を襲った際には積極的な支援活動を行った。5男2女に恵まれ、孫が21人、曽孫は6人になるという。(朝鮮新報から) |
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東京、「朝・日友好親善新春の集い」1月27日から | |
東京では、恒例の「朝・日友好親善新春の集い」が、練馬区(1月27日)を皮切りに15の地域で行われる。 「朝・日友好親善新春の集い」は、都議会議員、区議会議員、地域労組や各種社会団体、市民グループの代表らとともに、朝鮮総聯各支部の役員と地域の在日同胞が参加し、友好親善を深める場となっている。 「新春の集い」は、毎年東京歌舞団や朝鮮学校児童生徒によるミニ公演はもちろん、地域区民らも日常の友好活動の成果として朝鮮の歌を披露したりして盛り上がる。 参加者はマッコルリで頬を赤らめ、テーブルに並ぶ焼肉、キムチ、チヂム、チャプチェ、トク(お餅)などに舌鼓を打ちながらの楽しいひと時を過ごす。 「朝・日友好親善新春の集い」の日程は以下のとおり。 練馬区(1月27日)、荒川区(2月1日)、新宿区(2月2日)、北区(2月3日)、城南地域〈品川区・目黒区・港区〉(2月4日)、豊島区(2月6日)、墨田区(2月8日)、板橋区(2月9日)、渋谷区・世田谷区(2月9日)、中野区・杉並区(2月10日)、中央区・江東区(2月14日)、太田区(2月15日)、台東区(2月22日)、葛飾区(3月3日)、江戸川区(3月8日) 問い合わせは、朝鮮総聯東京都本部まで(03−5980−8911) |